山に藤を採りに行ったら白髪になっていた。
正確には所々薄紫の班になっている。まるで、木綿の布に染料を落としたものが滲んだような。



姿だけで匂いたつ様な、鮮やかな藤だった。近づくと水密糖に似た香りがしてくらりときた。
珍しい。母に持って帰ったら喜ぶだろうな……。
そう思ってぱちりぱちりと二枝もらっただけ。ただそれだけだったのに。



「ほぉ、珍しい。綺麗なもんだ」
奇妙な男は私が困っているというのに、母から事のいきさつを語られてなお、真剣になってくれなかった。抗議の意味を込めて小さく睨んでやる。すると男は思いの他ひねくれてはおらず素直に謝った。
「見た目が変わった上に喋れないんじゃ困るよな……。ちょっと失礼」
「!」
そう言って私の髪を一本抜き取り、不思議な筒で観察を始めた。
「こりゃあ、蔦ノ花飾だな。毛髪の内に蟲の一部が蠢いている。アンタ藤を採ったんだろう。原因はそれだ。藤の花の中には蟲が住んでいることがある」
古びた巻物の指された絵の一つ。雌蕊・雄蕊が生き物として描かれていた。
「アンタは女で運が良かった。男だったら雌蕊が住み着くんだ。雌蕊は雄蕊と違って繁殖性があって放っておくと体を乗っ取られる」
なるほど、私の髪に住んでいるのは雄蕊なのか。これが外に出れば、髪も声も元通りというわけだ。
「追い出すだろ?」
尋ねられて、すぐに答えられなかった。「少し席を外させてください」と口の動きで伝えて部屋を出た。
そうか、私は元に戻れるんだ。でもあまり嬉しいとは感じない。ただ一日を暮らす生活の繰り返しに飽き飽きしていた。 髪が白いこと……いずれは皆白髪になる。声がでないこと……これくらい何とかなる。 このままでいれば、今、私を取り巻いている不可思議に淡く光るものを知ることができるだろうか。 これがきっとあの男の言う「蟲」なのだろう。どうやら蟲は、彼の煙草の煙から離れた私を中心に集まっている。 そうか、アレが蟲を遠ざけていたのか。
私が蟲を追い出さなければ、彼がどこかへ連れて行ってくれるだろうか。ここではない、どこかへ。
きっと惰性でおくる生活よりは面白味のある生活ができるだろう。
「………」
浮遊するものたちが増えてきた。本能的な危機感を感じ、部屋に戻ったが彼は既にいなかった。
『また来る。香を炊き続けろ』という伝言と、私を守るための蚊帳を残して。
私は大人しく蚊帳をめくり布団に入った。これから起こるであろう、夢物語のようなそれを瞼の裏に描きながら。暗転。


彼がやってきたのは昼を過ぎたころだった。
「抜くか」
一言だけだった。
私は頷いた。
そうだ、私はやはり普通の人間なのだ。ここを離れてどうやって暮らすというのか。私は檻のようなこの家から離れがたい性質じゃないか。惰性の生活でも家が、父が、母が家族が恋しくなる。
「解った」



ほんの一瞬で終わった。煎じられた薬湯を飲むと暫くして嘔吐感が私を襲い、何かが体の中を巡った感覚がした後、蟲が飛び出していった。
その瞬間から、かけた墨が滲む様に髪色が元に戻った。
「あ……、声が出る」
「良かったな」
彼はそれだけを言って家を出てしまった。



呆けていた私はすぐに気づくことができなかった。
今、追いかけなくては二度と会えない!
思わず裸足で飛び出してしまったので足の裏が痛くて堪らない。けれど、追いかけねば。
「待って!」
吸った空気が肺に痛かった。
「待って……。言わないと、と思ったの。……ありがとう……って」
「おう」
彼は微笑んだ。それだけだった。