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恐い恐い恐い。 「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ!」 いつのまにか降りだした雨の中を無我夢中で走った。自分の知っているものが知らないものに変化することの何と恐ろしいことか。私の髪を梳いた、私の手のひらを撫でたそれが今度は自分を殺そうとして襲い掛かってきた。あの優しかった犬神は偽者なのだろうか。私を襲った姿が本物なのだろうか。所詮、人間に妖怪の本性なんて分からない。 落ちてくる雨を拭うと雨粒に血が滲んで服に赤い染みができた。 「ひっ」 皮膚に爪が食い込んだ瞬間を思い出されて怖気が走る。 家に帰れば犬神が待っているだろうか。恐くて会うことはできない。できればこのままどこかに消えて欲しい。私が戻らなければ犬神は探しに来るだろうか。犬神と鉢合わせしなくて済んで雨宿りできる場所を考えると多くは思いつかなかった。私の足は真っ直ぐに1つの場所を目指す。 「神様、少しの間ここに居させてください」 両手を合わせてご神体に向かって話しかける。 地元の、それも古くからこのあたりに住んでいる人間しか知らない小さな神社。簡素なつくりだけれど人が1人雨宿りするには十分な広さ。床を踏みしめると畳も腐っておらず、ここで夜を明かすこともできそうだ。 「よかった………はっくしゅ」 身を寄せる場所ができた安堵感から、現実的な問題が浮かび上がってくる。 「寒い」 雨水をたっぷりと含んだ服は、体にぴったりとくっついて酷く不快だ。けれど、体を拭うものも着替えるものも何もない。雨に打たれた所為で体温が奪われて震えが止まらない。震える手で自分の額に触れてみるが額も手の平も熱いのだろう、どのくらい体温が上昇しているのか分からない。 主様を探すために大分宙を浮遊した。もう某の着物もじっとりと濡れ、着ているのがもどかしい程だ。大方の力を使い果たして浮遊できずにゆっくりと降り立った場所がこの社だった。社であればここの神か眷属に助けてもらえるかもしれない。ふら付く体をなんとか支えて石畳を進むとつま先が塊を蹴った。 「………これは、」 珊瑚のまろやかな赤が雨に濡れている。それは某が主様にお返ししたあの懐刀。 「もしやここにいらっしゃるのか」 点々と続く足跡を辿ると社から人間の気配。中にはぐったりと畳に突っ伏した体があった。 「いかがされたか!お体の具合が悪いのか?………熱っ」 抱き起こそうと触れた肌が尋常ではない熱を帯びていて手を引いた。湿ったお召し物が体を冷やしたか。冷えた体を温めようとしての発熱だろう。しかしこれは尋常ではない。一刻も早く医者に診せねば。 「酷い風邪を召されております。屋敷へ戻りましょう」 「……いぬ、かみ?……!触らないで!」 「嫌です!お体を大切にしてくだされ!」 「私は、雨が止んだら………帰るからっ………放って、おいて」 「なりませぬ!某がお連れします故しばし堪えてくだされ!主様に死なれてしまったら某はこの世に戻った意味がありませぬ!!」 無理矢理にでも抱えて帰ろうと体に手を伸ばした時。 「腕が、透けてる………」 某の右腕は主様の体を通して畳まで突き抜けた。 慌てて体を確認すれば体の末端部分からだんだんと透けているではないか。 これでは!これでは折角この世に戻ることのできた体が消えてしまう!!主様も死んで、某の体も消えて。また離れねばならぬのか?幾年月再び会う瞬間を待ち続け、ようやくお遭いできたと思うたのに。もう焦がれて苦しい思いをするのは十分だ。もしも……もしもこれからも同じ時を過ごせるのならば。たとえ某を憎んでも主様と一緒に居られるのならばそれでも良い、そう思った。主様も人間でなければ、病に苦しむ事もない。 首に掛かる髪の毛をそっと払いのけ、汗ばんだ肌を撫でる。 「っ、」 噛み切った己の指から染み出す血液を啜る。 「お許しくださいとは言いませぬ」 柔らかい肌にそっと牙を突き立てて、血と血が混ざり合うように注ぎ込む。 この先もこのお方と共に生きられることを望んで。 |