自分のために千年も待ってくれる人の何と尊いことか。





「主様、聞こえますか?主様」
主様の体が熱い。呼吸がだんだん弱くなって命の灯が今にも消えてしまいそうだ。人間の体が人間ではないものに変わるのを拒絶しているのだろう。
こんなことになるとは想像していなかった。人間の体は脆い。処置をしなければ妖怪になる前に人間の体に限界が来てしまう。 それでは2度も某が殺してしまうではないか。自分が慕った人を!



「……ぁ……」
背中を支えて抱き寄せると主様は僅かに声を漏らした。
小さな体を引き寄せて負担をかけないようにそっと腕を背中に回すと熱い体温がじわりと服を通して伝わってくる。汗ばんだ肩に顔を埋めるれば昔と同じ懐かしい匂いがした。
「主様……本当はずっと昔からこうして触れ合えることを望んでおりました。貴方を待つ間、ずっと焦がれておりました。……千年は長かった。明日は会えるかもしれないと希望を持って絶望して。貴方のことを思って何度胸が張り裂けそうになったか。……やっと貴方に会えて某が人の形としてお目にかかれたあの日から私は貴方を怪にしたいと思っていた。2人で怪として今度こそ生を共にしたかった」
まろやかな赤い刀が鈍く光る。
「……これをお渡しすれば某を思い出してくださると思ったのだがなぁ」
するりと鞘が滑り落ちて床で跳ねた。
「某は主さま2人でずっと、どこの世界でもいい、一緒に生きたかった。だが、某の所為で主様を再び殺すことはできませぬ」
冷たかった自分の体が主様の体温で温かい。以前は抱き寄せることもできなかったが今はこうして体温を感じ取ることができる。
「某は幸せです」
小さな体を思い切り抱きこんで、主様の匂いを忘れないように息を目一杯吸い込む。
「某ごと主さまの体に注ぎ込めば、怪の血は相殺されるはず。某は貴方に生きて欲しい……。一度助けられたこの命、お返しします。……ッ!」
決意して一突き。自分の腹に懐刀が突き刺さる。とたんにドクドクと血が巡る音が聞こえ始めた。



微かな呼吸が唇から伝わってくる。大丈夫だ、まだ生きている。
「少し、我慢してくだされ」
唇に唇が重なった。
(どうか目を覚ましてください)
すると、閉じられていた瞼がうっすら開いて瞳に犬神が映った。己の願望か、某が口付けをしているというのに主様が微笑んでいるように見えてしまう。
「犬・・・神・・・」
(貴方をお慕いしてこれほど幸せなことはなかった。ありがとうございます。)
「犬・・・神・・・」
(喋らないでください。命が零れ落ちてしまう)
「ねぇ・・・」
(お願いします。口を噤んでください。)
口が開く度に隙間を埋めようと犬神の唇が後を追って口を塞ぐ。
(主様!)
柔らかい手がゆっくり伸びて犬神の頬を優しくなでた。弱弱しいけれど優しく熱を帯びた手が知らないうちに溢れていた犬神の涙を拭う。
「泣かないで・・・私もあなたにずっと会いたかった。今までずっとあなたのことを忘れていてごめんなさい」
心臓が一瞬止まった気がした。
様っ・・・!」
「幸村!」
二人の腕がお互いの背をしっかりと抱きしめて温かい。熱いものがとめどなく溢れて、目の前の様がどんどん見えなくなっていく。
「幸村、私はあなたが死んでもずっと覚えてる!覚えてるからっ、またいつか会おうね。約束だよ」
小指が強く結ばれた感触がして某は笑った。声はもう出すことができなかったから精一杯の笑顔でまた来世で会うことを誓った。


さよなら、愛しい人。


(08.12.31)